柴田 友里絵
YURIE SHIBATA
しばた ゆりえ
プロフィール
- 出身地
- 愛知県小牧市
- 好きな食べ物
- だし巻き卵
- 好きな言葉
- 時は金なり
経歴
通算4万人超の臨床経験を経て、FMT整体代表に就任。現在は現場を退き、次世代セラピスト育成、命の不思議や心身のつながり・自然から学ぶ健康法などをテーマに、体の学校オンライン講座や体感型セミナー、YouTube、スタンドFMでのラジオ配信などを行っている。
ストーリー
始まりはアルバイト
私がFMT整体に出会ったのは18歳のときでした。高校時代にバスケット部のマネージャーを務めていた私は、試合に向けて必死で練習を重ねてきた選手たちが、引退試合の直前にケガをして陰で泣いている姿を見て、スポーツ医療の道を志したいと思いました。
そんな頃、時を同じくして最愛の父を亡くしました。数日前から頭痛を訴えていた父は、単身赴任先のアパートで倒れ、たった一人であの世へ行きました。「せめて最期、近くに居てあげられたら」と、看護師でありながら夫が一番苦しいときに力になれなかったことに落胆する母をみて、「誰かの痛み、苦しみ」に寄り添える仕事がしたいという思いが一段と募りました。
私は、鍼灸・スポーツトレーナーの専門学校へ進路を定めます。思い立ったら居ても立ってもいられない性分の私は、少しでも早く勉強を始めるべく、専門学校入学前の身でありながら、補助スタッフを募集していたFMT整体のアルバイトに応募したのです。
私にとって、FMT整体との出会いは衝撃の連続でした。最寄り駅は車で20分。辺鄙なところにある当時の愛知小牧本院には看板もなく、宣伝もしていないにもかかわらず、全国から次々と患者さんが訪れている。電気をかける、湿布を貼るなど、一般的に常識とされている治療方法を一切せずに症状が改善している。挙げるときりがありませんが…
その中でも、今でも忘れられない膝を痛めたある中学生の男の子との出会いです。
整形外科、整骨院、接骨院や鍼灸院へ行っても治らず、「原因がわからないから手術でなかを診てみましょう」と医者から宣告された状態でFMT整体に来院されました。そこで私が目にした光景は、3回の施術で出来なかった正座ができるまでになり、手術を免れ、連れてきたお母さんが涙している姿でした。
最終的に男の子の痛みを改善し、男の子を運動復帰まで導いたのは、国家資格のある先生ではなく、国家資格などない整体師だったのです。“国家資格=治せる”ということではないのだと、あらためて現実を思い知らされました。この出来事をきっかけに、私はスポーツトレーナーではなく整体師になることを決意し、FMT整体への弟子入りを決めたのです。
人が人を癒やす
これまで延べ4万人以上の施術をしてきてあらためて感じることは、小手先の技術やテクニックが人を癒やすのではなく、人が人を癒やし、治していく力を与えるということ。
どれだけ知識や技術を身に着けても、セラピスト自身が人として成長し器を広げていかないことには、本物のセラピストにはなり得ないということです。だからこそ、セラピストとして成長し続けようと思うと自分自身と向き合わざるを得ないのです。
私は学生の頃からずっと「人の役に立ちたい」と思いながら過ごしてきました。でも、その言葉の裏には「誰かに必要とされたい、認められたい」という思いが隠れており、それをはっきりと認識した日のことは今でも忘れません。
セラピストとしての学びを続ける中で、自身を受け入れ、人を癒やすために、まず自分を癒やすことの大切さを知りました。“自分のために”が“誰かのために”へと転換したとき、それが力へと変わることを、痛みを抱えた患者さんがそれを克服し、夢や目標に向かってチャレンジする姿を通して学ばせていただきました。
私自身も現在進行系で、学びを続けていますが歳を重ねれば重ねるほど深まっていく感覚は、充実したものがあり、やりがいも大きいです。セラピストは、楽して儲けたいという方にはあまりオススメできない職業ですが、高い志を持って、コツコツとやるべきことを積み重ねていった人が、社会に必要とされるセラピストとなっていくのだと思います。
なにより、セラピストになって一番良かったと思うことは、一緒に切磋琢磨し、お互いを高め合える仲間ができたこと。小さな力も寄り集まれば大きな力となります。それぞれが自分の持てる力を最大限に活かすことのできる環境がここにはあります。
「人の役に立ちたい、誰かを癒せるようになりたい」その志を立てたその日から、セラピストの道はすでに始まっており、それは生き方へと変わっていくのだと感じます。