山田 泰行
YASUYUKI YAMADA
やまだ やすゆき
担当の院
- 新大阪駅前院
プロフィール
- 出身地
- 京都府京丹波町
- 好きな食べ物
- 鯖寿司
- 好きな言葉
- 迷ったときはシンプルに
経歴
息子の肩の痛みをきっかけにFMT整体に出会う。常識にとらわれないFMT整体の姿勢に感銘を受け、公務員から転身セラピストへ。
体と向き合うことは自分と向き合うことなのだと、学びの中で体感する。現在は気づきを提供する側として通算1万人の施術を行う。
ストーリー
セラピストという仕事が教えてくれたもの
安定した仕事、3人の子供がいる環境。そのまま過ごしていくことに大きな問題はなかった私に、25年勤めた役所を去る決断をさせたのは、息子宛に届いた1通の手紙がきっかけでした。
FMT整体との出会いは、高校野球をしている息子が肩を痛めて困っている中、何とかしてやりたいと調べていた時でした。片道2時間かけて連れて行き、その後の通院は「自分がここで治したいと思うなら通えばいい。」と息子に伝え、判断させました。自分で納得して治療を受けるのが一番いいと思ったからです。おかげさまで息子の肩は完治しました。
その後、息子宛にFMT整体から届いた手紙に同封されていたのは、セラピスト養成学院の募集案内でした。何気なく読み進めた私は、次第に心が動かされました。そこに書かれていたのは、単にセラピストの募集案内ではなく、「社会に貢献できるセラピストを育成する学院」への考え方。その内容を見た私は、すぐさま、セラピスト養成学院のホームページを詳しく調べていたのでした。
人生後半のチャレンジへ
当時、私は地元の役所に勤めていましたが、自分の行く末を考えた時、「このまま人生を終えるのは嫌だな」という思いが頭をよぎることがありました。そんな時に届いた手紙でしたから、余計にセラピストという道に惹かれたのかもしれません。
「ここで一から勉強して、こんな考え方や技術を身に付け、誰かに貢献することができたら、こんなやりがいはないだろうな。」その思いはだんだんと膨らみ、人生後半のチャレンジとしてセラピストになることを決意したのです。
学院での学びでは、施術理論、技術と共に、コミュニケーションなど必要なことを多岐にわたって学びます。その中でも、特に印象に残っているのは「技術が人を癒すのではなく、人が人を癒す」という言葉でした。その後、学院の課程は修了。約半年間、現場での実地研修です。受付や電話対応、ストレッチの指導などを経験して、自分も少しずつ患者さんを施術させてもらうようになりました。
最初は、先輩の先生と二人体制で経験を積む環境を与えてもらいました。施術をしながら、隣のベッドで先生がどんな話をしているのか、どんな技術を使っているのかを勉強していき、少しずつ自信も付いていきました。そして、遂に一人で院を任せてもらうように。「よしやるぞ!」と意気込んで毎日施術に取り組みます。
本来あるべきセラピストの姿
しかし、現実を思い知ることになりました。先生と同じ言葉で話し、同じように施術をしても同じような結果に結びつかないのです。次第に患者さんの来院が続かなくなっていきました。「どうすればいいのだろう」少しずつ空欄が増えていく予約表を見ながら、何が足りないのか考えていましたが、自分では分かりません。学院での学びや実際に施術を重ねることで身に着いたものもありましたが、頭で理解しているだけで終わっているものがあったのです。
そんな時に先生から「山田先生、ここから先は自分の課題に取り組まないと、いくら患者さんを診ても何も変わらないですよ。」という言葉。「課題?」そう聞いても理解できません。そこで初めて、自分の課題が自分で分かっていないことに気が付きました。一人で考えていても分かりません。結果が出ている先生の元へ勉強に行きます。
すると、少しずつ自分との違いが見えてきます。それは目の前の患者さんのために本気で向き合う覚悟でした。話している内容は私と特別な違いはありません。しかし、同じような言葉であっても先生の中から出ている声、表情、姿勢から、自信と堂々としたものを感じました。それは特別なことではなく、本来あるべきセラピストの姿でした。
体裁を捨て、思いを交わす
今までの自分を振り返ると、私は言葉や形式を真似ていただけでした。患者さんと話をしているけれども、どうやって上手く喋るのか?どうこの場をこなすのか?自分の体裁ばかりに気を取られていたのです。その結果、患者さんの信頼を得ることにつながっていなかったのだと思います。課題は喋り方やテクニックではなく、物事に本気で向き合わない自分自身だったのです。
それは、今までの人生で作られてきた自分自身のパターンでもありました。周りの目を気にしながら、常に良い人でいようとする。自分がどうしたいかよりも、どう見られているかを先に考える。そんな自分が変わらなければ、セラピストとしても成長できないと思いました。
そこから少しずつ、今までの自分を変えるために取り組みました。どう上手く話そうか、どう見られるだろうかという自分を守る視点ではなく、言葉が下手であっても目の前の患者さんとしっかりと言葉を交わし、患者さんを知る努力をしました。本当に患者さんにお伝えしたいと思ったことを言葉にします。すると患者さんも自分の思いを伝えてくださることが多くなります。次第に患者さんの予約が続くようになっていきました。さらに「ここへ来るのが楽しみです」「治っても定期的に来ていいですか」などの言葉を頂いたり、「母を診てもらいたいのですが」と紹介をしてくださる方も出てきました。
自分自身を知ることで掴んだもの
時間はかかってしまいましたが「技術が人を癒すのではなく、人が人を癒す」ということがやっと分かってきました。大切なことは、まず自分に向き合い、弱さも含めて自分自身を認めること。そのうえで目の前の人や物事に、信念や覚悟を持って取り組む。その本気の姿に、人は安心して身体を預けることができ、癒されていくのだと思います。
私がこの道に惹かれたのは、残りの人生「誰かの役に立ちたい」という思いからでした。役所の仕事も地域への貢献に変わりはないですが、もっと自分の手で具体的にできるものを求めたのだと思います。人生後半のチャレンジへの思いは、少なからず、家族や周囲にも影響を与えました。でも、セラピストの道を選んだことで、人生を振り返り自分自身を知り、成長のきっかけを掴むことができました。
自分自身を認め、納得した人生を生きられることが幸せへとつながっていくのだと思います。それぞれが納得できる人生を生きられるよう、自分や家族はもちろんのこと、これからご縁のある患者さんにもFMT整体の活動を通して貢献できるよう精進していきます。