三輪 拳
GEN MIWA
みわ げん
担当の院
- 愛知小牧本院
プロフィール
- 出身地
- 長野県松本市
- 好きな食べ物
- カレー
- 好きな言葉
- 遠回りが一番の近道
経歴
学生時代の膝のケガを機にFMT整体と出会う。2年間治る兆しのなかった痛みが改善したことに感動し、大学中退後にセラピストの道へ足を踏み入れる。
18歳でセラピストデビュー。臨床経験は通算2万人を超え、現場に立ちながらセラピストの育成指導も行う。
ストーリー
治らない怪我
私は、長野県にある四方を山に囲まれた四賀村という自然豊かな村で生まれ育ちました。
とにかく外で遊ぶことが大好きで、興味があることはやらずにはいられない性格の私は、近所の家の盆栽棚にブレーキが壊れた自転車で突っ込んでしまったり、川で遊んでいたらランドセルを流してしまったりと色々な迷惑をかけながら大自然と温かい人の間で育ちました。
そんな私は、小3から軟式野球を始めます。ボールを捕ろうとしたら顔面に当たるというギャグ漫画に出てきそうな光景が起きるほどの下手さでしたが、とにかく上手くなりたいという一心で練習を続けていた中1の夏。膝に激痛が走りました。
病院での診断はオスグッド病。「成長が止まるまで治らないから上手く付き合っていくしかない」と医師はこちらの心情も考えずに言います。
「もう大人になるまでスポーツができないってこと?」その現実を受け入れることができず、なんとか良くならないかと地元の接骨院・整体など良いと言われるところはすべて親に連れていってもらいました。しかし一向に改善せず、勉強が嫌いで体を動かすことが生きがいだった私にはそこから引っ込み思案な性格にもなっていきました。
FMT整体との出会い
怪我が治らないまま1年半が過ぎた中2の終わり、インターネットを通じて、FMT整体のホームページに辿り着きました。そこでは「オスグッドは成長痛ではない。原因があり改善する症状」だと言っているのです。半信半疑ですが、わずかな希望も抱きました。しかし、当時は愛知にしか院がなく通うこともできないと諦めていたところ、セルフケアDVDがあることを知り、なけなしのお年玉で購入したのです。
これがFMT整体との出会いであり、セラピストへのきっかけになりました。1年半どこに行っても良くならなかった痛みが、そのDVDを見よう見まねで行っていただけで軽減してしまったのです。「治るかもしれない」そんな気持ちから、朝起きてからも、授業中も、寝る前も暇さえあればセルフケアを無我夢中でするようになりました。長年抱えていた痛みが楽になっていくことの喜びは今でも忘れません。
その後、高校では、怪我が治ったら、ずっとやりたかった陸上競技をはじめました。
これまたセンスがなく、地区大会でもビリを走る選手でしたが、監督やチームメイトにも恵まれ、がむしゃらに練習を続けた結果、山梨学院大学からスポーツ推薦をいただける選手に成長しました。
それから大学生活を送る中で「競技を続けていくことが自分の将来に繋がっているのか?」と感じる出来事が多々あり、自分自身の将来を考えた時、思い出したのがFMT整体です。
「自分が助けてもらったように、誰かを助けられるセラピストになりたい。」
さまざまな方々に迷惑をかけるという迷いはありましたが、その衝動が沸き起こり居ても立ってもいられなくなった私は、監督や両親と話し合いを重ね大学を中退。FMT整体へ飛び込み、学びながらアルバイトを始めるに至りました。
ここでもはじめからセンスがあるとは言えないどんくさい私でしたが、言われたことはとにかくやってみる。の精神で少しずつセラピストとしても成長し、18歳の時にセラピストとしてデビューしました。
忘れられない患者さん
あれから10年以上が経ち、のべ約2万人を超える方を施術させていただきました。
その中でも忘れられないある患者さんがいます。
その方は、頭痛・肩こり・腰痛・生理痛・PMS・神経痛・不眠・耳鳴り・過呼吸・パニック発作・頭と首の付け根が締め付けられ、頭が働かない、息ができないような感覚「普通に生きていることが苦しい」と旦那さんに体を支えてもらっていないと立っていられないような状態で来院されました。5年もの間、寝たきりの状態だったそうです。
当時の私は、1万人以上施術をしてきた経験はありましたが、ここまでの方を見るのは初めてで、私ができることは、ただ必死に今できる施術をすることだけでした。
その患者さんの頑張りがあって、体調は少しずつ回復していき、首が締め付けられるような苦しさはなくなり、現在は、一人でジムなどにも行けるほどまでに回復しています。
ある年末の施術後、その患者さんが年末の挨拶とともに「ここに出会えていなかったら私はもう生きる希望をなくしていました。ここまで頑張れたのは、先生と旦那のおかげです。」と涙ながらにこれまでのことを話してくださいました。
その方の旦那さんは、パキスタン人の方で18歳のころに日本に来て働き始めました。それから2人は出会ったそうですが、ほぼ毎日寝たきりなってしまい、苦しんでいる奥さまを5年もの間、見放さずに看病するだけでなく「僕が今まで稼いできたお金をすべて使っても良いから助かってほしい」と言ったそうです。
どんなに苦しい状況でも症状の改善を諦めないその患者さんの姿勢はもちろんですが、自分のすべてを投げ売ってでも困った人を見放さない旦那さんの精神。
セラピストとはこのようにあるべきだと回復していく姿を一緒に歩む中であらためて考えさせられました。
私はデビューする前、「すべての人のすべての症状を改善する。」という気持ちでセラピストになりました。
しかし今思うと、それは私のエゴであり、間違っていたのだと感じています。
私が治すのではなく、治すのはあくまでも患者さんの体に備わっている「治癒力」であり、
どちらか一方が頑張るのではなく、お互いの真剣な姿勢や取り組みが合わさって、回復が実現します。
ですから、私にできることは、あなたの体がもっている治ろうとする力をあなた以上に強く信じ、一緒に回復に向かって辛抱強く、共に歩み続けることです。
大丈夫です。一緒にがんばりましょう。